祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり。
沙羅雙樹の花の色、 盛者必衰のことはりをあらはす。
 
        高木市之助 岩波書店・日本古典文學大系
 
祇園精舎ノ鐘ノ音 諸行無常ノ響有
沙羅雙樹ノ花ノ色ハ 盛者必衰ノ理ヲ彰
 
        平家巻第一 屋代本 
 
祇園精舎之鐘聲有諸行無常響
沙羅雙樹花色顕盛者必襄理
 
        平家物語巻第一 四部合戰狀本 并序第三番闘諍
 
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響き有り、
沙羅雙樹の花の色、生者必衰の理をあらはす
 
        平家物語巻第一 長門阿彌陀寺本
 
祇園精舎ノ鐘ノ音(ね)ハ 諸行無常ノ響キ有リ
沙羅雙樹ノ花ノ色 生者必滅 會者定離   (私の 幼少時の記憶・暗記本)

 
 
説明文が ちょっと違うように思います!!

平成二十三年四月 春爛漫の園城寺・三井寺にて撮影。

私の 「平家物語」 研究
 
各寫本との比較攷證
 
 
殆どの寫本が 『盛者必衰』 (じょうしゃ ひっすい)としてゐるところ、「長門本」が 『生者必衰』 (しょうじゃ ひっすい)としてゐるところが注目に値する。
 
また、翻刻活字印刷ではなく、寫眞複製版の「屋代本」に『鐘ノ音』と見へる點も特記すべきである。
 
以下、覺一轉寫本と謂はれる龍谷大學圖書館藏本を底本とする岩波書店發行 日本古典文學大系 「平家物語」 (上 昭和39年 第5刷、下 昭和38年 第3刷)を引用して 同意・同文部分を列擧する。

平家二之巻 小教訓 (上P-163)
・・・ 夜明くれば、馬・車門にたちなみ、賓客座につらなって、あそびたはぶれ、 まひおどり、世を世とも思給はず、近きあたりの人は物をだにたかくいはず、おぢをそれてこそ昨日までも有しに、夜の間にかはるありさま、盛者必衰の理は目前にこそ顯れけれ。樂つきて悲來るとかゝれたる江相公の筆のあと、今こそ思しられけれ。
 
 
欄外の註解に注目すべき注釋あり、曰く
「大江朝綱の願文と和漢朗詠集下、「無常」に 『生ある者は必ず滅す、釋尊未だ栴檀の烟を免れず。 樂しみ盡きて哀み來たる、天人猶五衰の日に逢へり』 とあるのによる。

もっとも、朝綱の文ならば、 『盛者必衰』 ではなく 『生者必滅』 とあるはずだが、この二つを混同したものであろう。」
 
大江朝綱の願文とは、本朝文粹巻十四 重明親王室四十九日追善法要の爲の願文で 和漢朗詠集にある原文は;
 
生者必滅 釋尊未免栴檀之煙
樂盡哀來 天人猶逢五衰之日
 
なお私見では この出典は 「佛垂般涅槃略説教誡經」、 所謂 遺教經(ゆいぎょうきょう) ではないかと思はれる。(附 別紙 漢譯原文參照)
 
面白いのは、同じ覺一系の高野本 (市古貞次 小學館發行 日本古典文學全集所載 東京大學國語研究室所藏 高野辰之助本)はもとより 元和七年片假名整版流布本 (野村宗朔 武藏野書院發行 昭和校訂平家物語所載 ならびに 佐藤謙三 角川文庫 昭和三十四年初版所載)さらには 林泉文庫所藏古寫本 (冨倉徳次郎 朝日新聞社發行 日本古典全書所載 昭和二十三年初版 米澤圖書館所藏) にも略々同文が掲載されてゐる。
 
 
ところが、長門本(黒川眞道 國書刊行會編 昭和四十九年發行、長門阿彌陀寺所藏)では該當章段名なく
 
巻第三 成親卿北方北山御座事に;
・・・ 夜あくれば馬車門に立て、賓客座につらなり、遊びたはぶれ舞をどり、世は世とも思はず、近きあたりの人は物をだに高くいはず、門前を過るものもおぢ恐れてこそ昨日までも有つるに、夜の間にかはり行こそかなしけれ、盛者必衰のことわり、目の前にこそあらはれけれ、此北方と申は、山城守敦方が娘にてましゝゝけるを、・・・
 
となってゐる。
國立國會圖書館藏 百二十句本 (平假名本) を底本とした水原 一校注 新潮日本古典集成「平家物語」は 岩波本のそれとは章段構成を異にしてをり、第十三句 「多田ノ藏人返リ忠」 の後段、第十四句 「小教訓」 と 第十五句 「平宰相、少將乞ヒ請クル事」 の前段を以って 岩波本の 「小教訓」 に相當してゐる。
 
第十五句 「平宰相、少將乞ひ請くる事」前段に;
・・・ 夜の間にかはるありさまは、「生者必滅」のことわりは目の前にこそあらはれけれ。 「樂しみ盡きて、悲しみ來る。」と 江相公の筆のあと、思ひ知られてあはれなり。  ・・・ とある。
 
この 十二巻からなる新潮社版百二十句本は 各句に それぞれの 「章段名」 があり さらには 各句に それぞれの 「小見出」 を掲げて、終章第百二十句は 「断絶平家」 で頼朝死去・文覺流罪・六代誅戮で終はってをり、最も充實した内容だと謂へる。
 
巻第二十からなる 「長門本」 は原本に目録が残るものは十五巻のみで 他の寫本とは内容も含めて趣を異にする。
 
高野本 (小學館版)、片假名流布本 (武藏野書院版)、林泉文庫本 (朝日新聞社版) は文字遣と表現は異なるものの目録・章段名は龍谷大學本 (岩波版) に近似する。
 
角川書店から出版されてゐるものは 片假名流布本を底本とする文庫本のみであるが、現在は絶版になってゐるものの、昭和四十八年に 「屋代本・平家物語」が出版されてをり 「貴重古典籍叢書」 として 古書市塲で 高値(\15,000)をよんでゐる。
 角川源義の こだわりが感じられる。
 
 
平家二之巻 成親死去 (大納言死去) (上P-190)
・・・ さる程に時うつり事さって、世のかはりゆくありさまは、たゞ天人の五衰にことならず。
 
この章、武藏野書院本、新潮社本とも 略ゝ類似の内容になってゐるが、注目すべきは
 
新潮社本後段に ・・・ ただ天人の五衰とぞ見えし。 同じく十二月二十四日、彗星、東方に出づ。 「蚩尤旗(しいうき)」 とも申す。 また 「彗星(けいせい)」とも申す。  「天下亂れて、大兵亂國に起らん」 と言へり。  ・・・が加筆されてゐる。
 
 これは 「太平記巻第五」 に見へる 『天下將亂時 妖霊星ト云惡星下テ災成ストイヘリ』 『爾來妖孽(やうげつ)見天則法威而攘之逆暴亂國』 に通じるものと考へられる。
 
 佛教思想から一轉 随神(かんながら)ノ道が見へてくる。

この段、長門本は かなりの長文で  ・・・ 黄泉何所、一往不環、再會無期、懸書欲訪、存没隔路兮飛鳥不通、擣衣欲寄、生死界異兮意馬徒疲 ・・・ 
・・・ 時うつり事さり、たのしみ盡てかなしみ來、天人の五衰とぞ見えし、されども大納言の御妹、小松内府の北の方より、 ・・・ と講談調が延々と續き
・・・ 同十二月廿四日彗星出、叉いかなる事のあらんずるやらんと人あやしみあへり、彗星は五行の氣、五星之變、内有大兵外大亂といへり。 ・・ で巻第四を終へてゐる。
 
平家七之巻  一門都落 (下P-113)
・・・ 「生ある物は必ず滅す。 樂盡て悲來る」といにしへより書をきたる事にて候へ共、まのあたりかゝるうき事候はず。 ・・・
 
記述的には 小學館本、武藏野書院本、角川文庫本、朝日新聞社本は 孰れも岩波本に近似してゐる。
 
新潮社本は 「一門都落」と次章の「福原落」を第七十句『平家一門都落ち』として一本に纏め、岩波本で「聖主臨幸」にある『畠山庄司重能、小山田別當有重、宇都宮左衛門朝綱』の記述をこの章段に入れてゐる。

長門本では「朝綱重能有重被免事」の一章段を設けてゐる。
 
さらには 岩波本で 平中納言教盛卿の詠としてゐる  『はかなしぬしは雲井にわかるれば跡はけぶりとたちのぼるかな』 を 薩摩守忠度の詠みだとして  「はかなし主は雲井にわかるれば あとはけぶりと立ちのぼるかな」 とし、その返歌である修理大夫經盛の 『ふるさとをやけ野の原にかへりみてすゑもけぶりのなみぢをぞ行』 を 順序を逆に掲載してゐる。
 
この段、長門本でも 『・・・薩摩守忠度かくぞくちずさみ給ひける、「はかなしや主は雲井にわかるれど やどはけぶりとのぼりぬるかな」』
そして 反歌として三首が掲げられてゐる;
 
古さとを燒野の原にかえりみて すゑも煙りの波路をぞゆく  修理大夫經盛卿
こぎ出て波とゝもにはたゞよえど よるべき浦のなき我身かな   平大納言
磯なつむ海人よをしへよいづくをか 都のかたを見るめとはいふ   同北の方
 
しかし上述の 「生ある物は ・・・」 の記述は両本とも缺落してゐる。
 
 
平家十之巻 維盛入水 (下P-282)
・・・ 生者必滅、會者定離はうき世の習にて候也。  ・・・
 
朝日新聞社本、角川文庫本、小學館本、武藏野書院本、新潮社本は 孰れも岩波本と同工同曲と謂へよう。
 
この章、長門本では 巻第十七 「維盛高野熊野參詣同投身事」として
・・・ 分段(ぶんだむ)輪廻(りんゑ)のさとに生るゝ者、必ず死滅の恨みを得、妄想如幻の家にきたるもの、 終に別離のかなしみあり、かの娑羅林の春の霞をたづぬれば、萬徳の月かくれ、一他の縁ながくつきぬ、歡喜苑(くわむぎゑん)の秋の風を聞ば、五衰の露きえて、千年のたのしみ叉むなし・・・
 
と 同工異曲になってゐる。
 
 
平家十一之巻 大臣殿のきられ (大臣殿被斬) (下P-370)
・・・ 「生あるものは必滅す。 釋尊いまだ栴檀の煙をまぬかれ給はず。 樂盡て悲來る。 天人尚五衰の日にあへり」とこそうけ給はれ。
 
朝日新聞社本、小學館本、武蔵野書院本は 孰れも岩波本に近似してをり、新潮社本には文字遣と表現に若干の差異が認められるも、類似文だと見て差し支へあるまい。
 
長門本では、巻第十七 「池大納言關東下向事」 で
・・・ 猶五百生の縁と申せば、此世一の御契りにも非ず、生者必滅會者定離は、人界の定あれる習、六道の常の理なれば、さらぬ別のみならず、心に任せぬ世の有様、末の露本の雫のためしあれば、たとひ遅速の不同はありとも、おくれ先だつ御わかれ、終にはなくてしもや候べき、 ・・・
 
と、同意異文になってゐる。
 
 

清香山玉泉寺 寂光院 書院

平成二十三年九月二十七日撮影

 
考  察 と 結  論
 
 
全體の流れは 『諸行無常 生者必滅 會者定離』 の佛教思想であり 岩波校注者が指摘の如く、 「しょうじゃ」 と 「じょうしゃ」 を混同して 「盛者」 の漢字を充て これに對する對句として 「必衰の理」 を結合させたものと考へられる。
 
 
一つの可能性として、平曲琵琶法師が 「祇園しょうじゃ」 と 「しょうじゃ必滅」 では 語呂惡く 「じょうしゃ」 として、寫筆者が 「盛者」 の文字を充てたことが考へられる。
 
同様に、 「祇園精舎ノ鐘ノ音」 では語り口の響き惡く、 「祇園精舎ノ鐘ノ聲」 としたことがありうる。

私の幼少時の記憶・暗記本;
 
祇園精舎の鐘の音(ね)は 諸行無常の響き有り

沙羅雙樹の花の色 生者必滅 會者定離

驕れる者久しからず 只 春の夜の夢の如し。
 
元和七 (1621) 年以前の この寫本が 何處かに必ずや存在する筈である。
 
  遁世非僧非俗 皇紀二千六百七十一年平成辛卯皐月癸巳ニ之ヲ標ス
 
(2011/05/18)

私の 吉川英治 『新・平家物語』 研究 ページへのリンク。

京都大原 寂光院

2011/09/27 撮影 

引用出典;

日本古典文學大系 高木市之助校注 昭和34 年初版初刷 岩波書店
平家物語 上 昭和39年 第5刷
平家物語 下 昭和38年 第3刷
 
新潮日本古典集成 水原 一校注 昭和54年初版初刷 新潮社
平家物語 上 平成9年 第11刷
平家物語 中 平成9年 第 9刷
平家物語 下 平成7年 第 8刷
 
昭和校訂 平家物語 野村宗朔編集校訂 昭和二十三年初版初刷
昭和五十九年 第三十三版 武藏野書院
 
日本古典全書 冨倉徳次郎校注 平家物語 昭和二十三年初版初刷 朝日新聞社
 
角川文庫 佐藤謙三校注 平家物語 上、下 昭和三十四年初版初刷 角川書店
 
日本古典文學全集  市古貞次校注 平家物語 昭和48年初版初刷 小學舘
 
平家物語 長門本 昭和49年 復刻發行 國書刊行會
 
古典アルバム 平家物語 市古貞次著 昭和46年 明治書院
 
和漢朗詠集 川口久雄校注 昭和40年初版初刷 岩波書店
 
和漢朗詠集 大曽根章介校注 昭和五十八年初版初刷 新潮社


inserted by FC2 system